富士登山紀行

いきなりですが、7/29~30に掛けて富士山の登頂を行いました。

 

 富士山へは会社の企画で数年前に登ったことがあるので結構余裕こいての挑戦でしたが、当時の若さはもうすでに無いということを改めて実感させられましたwww

   もうね、心身共にボロボロでしたよ。ええほんとに。

 

 と言うわけで、この苦しみを皆さんにもお伝えするため、今回はその旅路を少々ご紹介します。

なお、この記事は元々、会社の社内報用に書いたものなので、いつものキチガイな表現は出てきません。ご安心を。

 

それではご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

H29 富士登山紀行

 

著:テラム

 

参加者:Y、T、N、S、I、A、テラム  計7人

 

7 月29 日~30 日に架けて、〇〇社員7 名で富士山の登山を行いました。日頃から運動不足なこともあり、想像以上の過酷な登山になってしまいましたが、なんやかんやで無事に帰還することが出来ました。今回はそんな富士登山の記録をご報告致します。

 

※長編注意です。暇な時にどうぞ。

 

 

 

 

 

第1章 地獄の大渋滞、不吉な天候

 

 AM6:00 大塚駅

 まだ日照りも少ない早朝。出発時間を過ぎても集合場所にいるのは7 人中3 人。5 分前には来てくださいと連絡はしていたが、いかんせん朝が早いので仕方が無いか。

 

 その後、少しずつ人数がそろってきたものの、結局出発したのは予定の15 分後のことだった。別に15 分くらいずれようがさほど問題は無いのだが、悲劇は連鎖してどんどん大きくなるものである。

 

 会社の車を使わせてもらい、2 台の車で目的地へと向かう一行。東名高速に乗り込み、皆意気揚々とするも、早速快適なドライブとはならなかった……。

 

まさかの大渋滞である。

 

 ある程度は予測していたが、途方も無く続く行列に加え「この先10km 事故渋滞」という掲示板の表示に私の思考は早々にメチャメチャになる。途中、海老名SAで休憩したときには、すでに約1 時間15 分の遅れ。もう始まる前から泣き出したい気分だったが、嘆いても失った時間は帰っては来ない。

 

 私は気分を落ち着かせ、スケジュールの変更に勤しんだ。後半は特に渋滞は無かったものの、新たな問題が発生する。

 

 富士登山は五合目から開始出来るのだが、一部区間は登山期間中マイカー規制となっており、五合目まではシャトルバスで登ることとなっている。バスは30 分毎に出発するが、これに乗り遅れると問答無用で30分遅れてしまうわけだ。

 

 そして、案の定ぎりぎりバスに間に合わず、さらに30 分のずれが生じた。

 

 結局、五合目についた時点で約2 時間も遅れ。さらに着くや早々、あたりを覆い尽くす霧にポタポタと強くなりつつある雨。すでに悪天候である。しかしこれ以上悔やんでもしょうがない。天気予報では曇りだったので仕方が無いと割り切った。

 

 気を取り直して登山用の衣服に着替えていると、これからラウンドワンにでも行くのかのような軽装の者がいてびっくり。しかも、あれだけ言ったのにカッパすら持ってきていない。山登りで雨具を持たないというのはただの自殺志願者に等しい。すぐに買ってこいと伝え、他の者は登山の準備をした。写真1

 

 全員の準備が終わり集まる一同。この時点で標高2000m以上。すでに酸素が薄いこともあってか、着替えるだけ疲れてしまった者もちらほ

ら。

 

 五合目の看板で写真を撮り、軽く準備運動を行ったら、ようやく登山開始。

 

 まあ、いろいろあったが何とかなるだろうと、このときは皆まだ余裕を持っていた。だが、霧のせいで全く見えない景色に、大幅に遅れてし

まった入山。期待と不安の入り交じる心境の中、日頃から運動不足のいい大人達が、こんな悪天候の中、本当に富士山を登れるのだろうか?

 

 そう、本当の地獄はここから始まった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2 章 悪天候の登山

 

 ついに始まった富士登山。びしょびしょに濡れた地面は当然歩きづらく、カッパを着たことでより身が重くなる。そして何より暑い。ぬれるのを避けるためカッパで全身を覆っているので、体温が外に逃げず開始5 分でもう汗だくである。

 

 想像以上の過酷さに皆早々に息切れを起こし、思うように先に進まない。そんな中、最年少のA(20)とI(21)は軽装なのが逆に功を奏し、どんどん先へ進んでいく。逆に高齢なY(57)とT(45)はローペースで進み、残りのテラム、S、Nはその中間のペースで進んでいく。

 

 結局自然な流れでチームは3 つに分かれ、お互いを気遣いながらも少しずつ前進していった。

 

 何とか最初の区切りである新六合目に着いた時にはすでに午後1 時。予定では11 時50 分に着くことになっていたので、非常にまずい。というのも、今回の予定では、頂上まで一気に登りきた後、山小屋にて夕食のカレーを食べ、ご来光まで仮眠するという計画を立てていた。選択したルートは須走ルートなので、一般的な平均登頂時間は約6 時間30 分である。だが、今回予約した山小屋では、夕食の時間が17 時で、チェックインが19 時までなのだ。

 

 正直、今からではぎりぎりチェックインの19 時に間に合うかどうかも怪しい。とりあえず山小屋に連絡を入れてみると、少しくらいならチェックインの時間が過ぎても大丈夫とのことだったので、ひとまずは19 時に頂上到着を目指して再び登山を始めた。

 

 六合目を過ぎると、序盤の暑さが無くなった代わりに、雨の勢いがより一層激しくなり、急な肌寒さが精神をさらに蝕んでいった。前半は好調だった最年少グループも、後半は勢いを無くし、七合目に到達する頃には、ついには我々の第2 グループが追いついてしまう事態に。

 

 富士山の醍醐味の一つはその超高度から見渡す景色にあるのだが、今回は霧のせいで何にも見えない。よって、登山中も心は満たされず、ただひたすら寒さと薄い酸素に耐えながら疲労がたまっていくだけである。

 

 新七合目に到達し、さすがに我慢が出来なくなった私は、暖かい食べ物を山小屋で注文することにした。

 

 ご存じの通り、山小屋の売り物は値段が高めだ。たとえば、500ml のペットボトル飲料などは500 円前後で売られている。一見ぼったくりのように感じるが、資源が限られている環境では相当の対価だとも言える。そんな中、暖かい物を注文するとなれば、それなりの対価を要求されるわけだが、背に腹は替えられないので私は一杯の味噌汁を注文した。 

 

「はい、540 円です」

 

 え、高い!高すぎる!!いくら何でもこれは無いだろう。最早ランチ1 食分に勝るとも劣らない値段である。無論、出されるものは定食で出るような出汁の効いたものでは無い。何袋か入って100 円程度で売っているインスタント味噌汁のような粗末なものだ。とはいえ、このときの気分は、普段の食事をしている時よりも幸せだったのかもしれない。

 

 体が暖まったところで、登山を再開するが、ここまでくると酸素も極端に薄くなり、数歩歩くだけで息切れが起こる。それでもめげずに進んでいくと、時折霧が晴れ、遠くまで辺りが見渡せる瞬間がある。そのときの風景は爽快ですばらしいものだが、一番うれしいのは上が見えること。霧が無ければ九合目の山小屋くらいまでならギリギリ目視することが出来たのだろうが、それでも次の八合目あたりまでは確認することが出来たので十分だ。これならあそこまでがんばれば。と気持ちに余裕を持てるので実にありがたい。まあ、すぐにまた霧で見えなくなったが。

 

 本七合目から八合目までは意外にも近く、30 分ほどで到達できた。ただ、いまだ天候は悪く、時折雷が鳴っている。

 

 

 時刻は17 時を過ぎたあたり。頂上近辺の山小屋は18 時までしか食事が取れないので、我々はここで、遅れてちょうど本七合目に到達した山田隆さんと富井さんはそこで、それぞれ食事を取るよう指示を出す。

 

 今までのペースからおおまかな時間配分が分かってきたので、順調にいけばここから頂上まで約2 時間30 分といったところ。私は山小屋に改めて連絡を入れる。何とか登頂出来そうだとたかをくくっていた私だが、ここで最後の失態を犯すことになる。

 

「19 時にチェックインされてないとそのままキャンセルになりますよ」

 

……え?

 

 私は耳を疑った。そんな馬鹿な。ちゃんと確認したはずだ。少しくらい遅れてもいいと先ほど聞いたはずだ。私は焦る気持ちを抑えられず少し興奮気味に問いかけた。話を聞くと理由は二つあるらしい。

 

 第一に天候が悪いこと。八合目の時点でかなり雨は降っていたのだが、頂上はもっと酷いらしい。こういう日の登山は危険だと判断して、途中であきらめる登山者が多い。よって、チェックインまでに来られなかった客は信頼性に欠けるし、なにより他のお客の迷惑にもなるので門限は譲れないとのこと。

 

 もう一つは、先ほどの話は誰か一人でも到達できていればということらしい。前述の通り途中であきらめる人もいるが、誰か一人でも山小屋まで来ることが出来れば、仲間を置き去りにすることは出来ないので、その場合は、特別に消灯時間を過ぎても入れてくれるのだそうだ。ちなみに前回当時のメンバーで富士山に登ったときは後者と全く同じ状況。

 

 前例があったので甘く見ていたこともあるが、まさかここまで来てこんなどんでん返しを食らう羽目になるなんて思ってもみなかった。ただ、前回と今回では悪天候という最大の違いがある。ちょうど八合目の山小屋にいた別のツアーの人が、参加者に対して「本当は中止にしたい」と言っていたので、平常でないのは間違いないだろう。

 

 しかし、ここまで来て登頂をあきらめるのか?

 

 私は何とかならないかと付近の山小屋に片っ端から電話をかけた。しかし、当然だがどこも満室。絶望と不安が入り交じった心境の中、私は霧で見えない辺りを見渡し考えた。

 

 天気予報は何度も確認した。今更天気が雨だからと言って中止にするつもりも無かったが、どこにも雨マークなど出てはいなかった。しかし曇りマークだったのは事実。 

 

 天気は荒れる一方。泊まれる山小屋は無い。となれば答えは一つしか無い。私は自身の計画性の無さを痛感しつつ、泣く泣く途中下山を決意したのだった……。

 

 皆に登山中止を宣言したとき、なぜか歓声が上がった気もするが、まあ気のせいだろう。私は本七合目にいる2 人にも連絡し、今から降りるので、そこで待つよう伝えた。志半ばではあるが、全員の命の方が大事。私たちは気持ちを切り替え、下山を開始した。

 

 そして、知ることになる。日を跨がずに、休むこと無く下山を行うことの過酷さを。

 

 

 

 

 

第3 章 恐怖に満ちた宵闇の下山。2つの人命を救う

 

 時刻は午後6 時を回っている。

 本七合目にて全員そろったことを確認し、何枚か記念写真を撮った後、再び下山を開始する。下山は登りとは違う道を進む。ごつごつした岩等が少なく、あたり一面が砂で張り巡らされた更地になっている。この場所は“ブル道”と呼ばれ、ブルドーザなどの重機が通る道なのでこのようになっているのだという。これをうまく利用することにより、出来るだけ足に負担をかけずにサッサッと降りていく、通称“砂走り”が可能になる。

 

 だが、今回は雨が降っているので、砂が固まりこの技法は殆ど活用できない。

 

 しかも、水を含んだ砂はとても重く、さっきまで登りで疲弊した足に追い打ちをかける。そして何より霧で遠くがよく見えない。写真2

 

 その結果、やはりスムーズに降りることは叶わず、たまにある一枚岩に気を付けつつ、安全にゆっくり降りていくしかなかった。雨降って地固まるとは言うが今の私たちに何一つ利点は無い。

 

 とはいえ、登りに比べたら体力の消耗もないし、進むスピードも段違いである。あれだけ苦労して登った距離をあっけなく下るのは少々複雑な気分にもなるが、今はそんなことは言ってはいられない。

 

 私は下山しつつ、今後の予定を考えた。下山にかかる時間は、本七合目からおそらく2 時間半と言ったところ。下りのシャトルバスの最終時刻は20 時15 分なので厳しいが、そのときはタクシーを呼べばいいだけのこと。

 

 問題なのは、我々は五合目入口の山小屋に荷物等を預けているので、それを回収しなければまず帰還することが出来ないことだ。その山小屋の閉店時刻は20 時30 分。時間は刻一刻と迫ってきてはいるが、このまま順調に進めば、ギリギリ着くかもしれないといった感じだ。私は皆にその旨を伝え、何とかがんばろうと気合いを入れた。しかし、早くもその淡い希望は、富士山の容赦ない雲行きとともに怪しくなったわけだ。

 

 日が落ちた……。

 

 時刻はすでに19 時近く。夏とは言え、そろそろ日が落ちるのは当然だが、この天気が問題なのである。皆日暮れに従い、待ちわびたとばかりに用意したヘッドライトを装着する。早速地面を照らすが、霧のせいでよく見えない……!

 

 確かに暗闇を照らせば明るくなる。でも見えるのは地面の状況ではなく、霧と雨の状況。残酷なことに濃い霧のせいで地面まで光が届かないのだ。 

 

 それでも、無いと何も見えないので付けないわけにもいかない(視認できるのは精々2~3m くらい)。しかし、さらにペースを落とす羽目になったのは痛い。このままでは流石にまずいと思ったので、比較的下山の体力に余裕があった私とNさんの二人は、なんとか荷物だけでも回収するため、危なくならない範囲でスピードを上げ、先陣を切って下山した。

 

 しかしながら、夜の山道は本当に怖い。暗闇に霧で見えない地面。永遠に終わりそうに無い砂走り。降り止まない雨。すでに心身共に限界に近づいていることもあって、今通っているこの道でさえも、本当に合っているのだろうかと思い始める。

 だがそのとき、広大な闇夜の遙か先に、ほのかな一粒の光を発見する。琥珀色に光るその粒が見えた瞬間、折れかけていた私の心と足が生気を取り戻した。

 

「あそこまでがんばろう。」

 

 今までの疲労は何処へやら。目的の場所が見えればこうも気が楽なものなのかと、自分でも驚かせられた。

 

 靴には水が染みこみ、歩くたびにぐちゃぐちゃして気持ち悪く、ふくらはぎはパンパンだった。

 

 それでも、きっとあそこが五合目入口の山小屋のランプなのだと最後の希望を糧にペースを落とすこと無く進んだ。ゆっくりだが、確実に光は大きくなっていき、ついに、光るランプの所までたどり着いたのである。

 

 だが、そこで待ち受けていたのは登山時には確認できなかった光景。

 

 嘘だろ……と、おそるおそるすぐ隣にある看板を覗くと「砂払い五合目」という表記。慌ててパンフレットの地図を取り出し現在地を確認すると、なんと、まだ五合目の中間地点であることが判明。しかも、ここから五合目まではさらに30~40 分はかかるという。

 

 現在時刻は20 時すぎ。時間的にはまだ余裕はある。だが、安定した下山が出来る砂走り地帯はここで完全に終了する。ここからは鬱蒼と生い茂る森林の中に入り、ごつごつした岩場をくぐり抜けていかなければならない。

 

 どうしよう。

 

 すでに心がへし折れている中、今後の予定について考える。しかし、現状は非常に芳しくない。たとえいくらか遅れて入口の山小屋にたどり着いたとして、それから着替えつつタクシーを呼んで山道を下り、車を止めてある駐車場まで行き着く頃にはおそらく22 時を超えているだろう。そこから車で東京まで約2 時間強。その頃には遅くなりすぎているので、みんなの終電が無くなっている。ようやくここで"自分たちが詰んでいた"ことに気がついたのだ。

 

 このままでは下山が出来ても帰ることができない。疲労と薄い酸素で回らなくなった頭を必死に動かしつつ、隣にいたNさんとどうするか話し合った。

 

 すると、すぐ近くにあった山小屋が目に入った。そういえば、この山小屋って泊めてくれるのかな?もし、この山小屋で泊まることが出来れば無理な下山をこれ以上行う必要がなくなり、翌日体力を回復させてから帰宅することが出来る。

 

 山小屋を覗くと、ちょうど焼却炉のような場所で大きな犬と一緒に主人らしき人が立っていた。淡い期待を胸に、ダメ元で今晩泊まれないか聞いてみた。

 

「大丈夫ですよ。」

 

 本当ですか!!これはチャンスだ。人数も確認したが、余裕で泊まれるそうなので、みんなに了解を得るため即電話を入れた。普通は他のメンバーに了解を取ってから聞くものだが、このときの私は、元々山小屋には泊まる予定だったので、絶対に今日帰らなくてはいけない理由が無いので大丈夫だろうと勝手に思っていた。今振り返ってみると、相当都合の良い解釈に感じるが、この時は本当に余裕が無かったので大目に見て欲しい。

 

 ここで断られたら身も蓋もない話になるが、みんなも疲労していたためか特に反対は無く、すんなり一泊の承諾を得ることが出来た。その時、電話を入れた相手のSが、“後ろの二人はどうなんだろう”的な話をしていたが、何のことだか分からなかったので、とりあえずランプの点灯している所が目印だと伝え、自分たちは一足先に小屋で休むことにした。

 

 しばらくして他のメンバー達も到着した。ふと奥を覗くと、SとTさんの後ろに、見知らぬ男女が居るのに気がついた。誰なのかは知らないが、二人の雰囲気には何か異常を感じる。男の人は普通なのだが、女の人の様子が明らかにおかしい。頭は帽子も被らずにびしょ濡れで、この世の終わりを見たかのような絶望した表情を浮かべている。

 

 「この人達は?」と聞くと、どうやらこの人達は、懐中電灯を登りの山小屋に忘れてきてしまって、日が落ちて何も見えず前に進めなくなってしまったところを、SとTさんの二人が一緒に下山してあげたのだそうだ。第1 発見者のTさんに後から聞いたところ、本当は結構早くから助けの声は聞こえていたが、後ろに振り返っても霧のせいで何も見えないので、しばらく無視し続けたとのこと。だが、あまりにも叫び続けているので、流石に気になりU ターンして様子を見に行ったところ、二人を発見したそうだ。

 

 また、女性がこのような表情なのもただの恐怖だけでは無く、本人曰く“低体温症”になってしまったからだそう。下山中もその不安があってか、「私たち無事に帰れるのでしょうか?」と、何度も聞いてきたそうだ。それにしても、低体温症の自覚症状がどの程度のものかは分からないが、少々焦りすぎな気もしないでも無い。

 

 状況は分かったが、二人はこれからどうするのか聞いてみると、五合目の入口に車を待たせているので、何とかそこまでは行きたいらしい。(五合目まではマイカー規制のため通常はバスかタクシーしか通れないが、お願いして特別に通らせてもらったそうだ)

 

 しかしながら、今日の我々の下山はここで打ち止め。ヘッドライトなどはレンタル品だったりするのであげるわけにもいかない。おまけにこの先は岩場だらけの荒れ地。ただでさえ低体温症に陥った人が、あと40 分~1 時間も下山を続行できるとは思えないので、私は我々みたいにここで泊まるべきだと伝えた。 

 

 しばらくどうしようか迷ってはいたが、頼る相手も居なくなったのもあり、結局は彼女らもここで一泊する道を選んだ。

 

 

 

 

第4 章 凱旋~そしてエピローグ

 

 時刻は午前6 時半。山小屋での起床は決してすがすがしいものではない。酸素が薄いせいなのかあまり熟睡することが出来なかった。相変わらず外は曇り空。霧もかかっている。

 

 特にここで朝食を取ったりはしないので、みんなの用意ができ次第、下山を開始するつもりだ。そういえば昨日のあの二人はどうしたのだろう。気になって部屋の中を覗いてみると、丁度、Yさんと女の人が会話していた。

 

 昨日の絶望的な表情はもう見られず、随分と落ち着きを取り戻したようだ。その後しばらくして、Yさんが小屋を出て全員集合したのを確認し、いよいよ最後の下山を開始した。

 

 やはり砂走り地帯とは違い、足場は相当悪くなってはいるが、今は明るいので急がなければ特に問題は無い。とはいえ、一泊しても肉体的な疲労はまだ残っている。最後の最後でけがをしないよう、足下に気をつけつつ、ゆっくりと下っていった。

 

 それでも、五合目入口へは30 分ほどでたどり着いた。予想以上の余裕な下山に、一同肩すかしを食らったような態度を取ってる。中には「これなら日を跨がなくても降りれたわ」と言う何も分かってない人も居たが、まあ、無事に降りられたからよしとしよう。

 

 ちなみに、このとき山小屋の人から椎茸茶を頂いたのだが、これがとてもおいしかった(ここで飲むからでは無く純粋に)。

 

 その後は特に何事も無く、着替えをすませた後下山のバスに乗り込み、山を下り、無事に車の元まで帰ってくることが出来た。ようやく会社の車と再会した我々は、とりあえず疲労した体を癒やすべく、近くの温泉に向かった。昼ご飯もそこで食べ、しばらくのんびりと休憩をとり、東京へ帰ってきたのは午後2 時頃であった・・・・・・

 

 

 

 

 さて、今回は久しぶりの登山ということもあり、何かと準備不足になってしまい、満足とは言えない結果となってしまいました。メンバー達も「こんなにつらい行事は初めてだ」とか「もう二度と富士山なんかには登らない」など、辛い思い出ばっかり残ってしまったようです。ただ、残念なイメージを持ってしまう方の為に少し言い訳すると、普段の登山はここまで酷いものではありません。

 

 今回は、たまたまいくつかの不運が重なってしまったことによる悲劇で、毎回このような事態にはまずなりません。さらに言えば、計画にも問題がありました。

 

 ごく一般的なツアーでの予定では、宿泊は頂上ではなく八合目で、そこで夕食を取った後、仮眠して頂上を目指すスケジュールになっています。今回、我々は八合目までたどり着いていたので、この予定であれば問題は無かったわけです。……まあ、後から確認したことなのですが、この日頂上へたどり着けた人も、結局ご来光を拝むことが出来なかったみたいです。そうなると、頂上へ登る意味が無いとまでは言いませんが、富士山の醍醐味を味わえないのであれば、余計に下山した方が正解だったのかもしれませんね。あくまで結果論の話ですが。

 

 とはいえ、不完全燃焼であることは事実。次があるかどうか分かりませんが、興味を持って頂けた方がいましたら、もしかしたら来年リベンジがあるかもしれませんので、その時はよろしくお願いします。

 

 それでは、今回協力して頂けた皆さんに心より感謝しつつ、最後に今回のメンバー全員の感想を一言でまとめつつ締めたいと思います。

 

 「……ただひたすら辛かった。」

 

 お疲れ様でした。写真3

 

 

PS:そうそう、下山途中で助けた女性の方から後日、本社にお礼の手紙とお菓子が届いたみたいです。ちなみにその人、番組制作会社の社長さんなのだとか。意外とすごい人だったんですね!写真4

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

記事は以上です。

皆さんもよろしければ挑戦してみたらどうですか?私ですか?もちろん行きませんよ♪

 

 

 

 

 

意見、暴言、悩み。なんでも受け付けます。

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